諏訪神社について


 ・山笠に蛇、鷹に関する外題を飾らないわけ。

 人皇十七代仁徳天皇の御字、百済王の使者の誓来が持参した献上の鷹を、帝は諏訪姫に命じて、その飼育や訓練について学ばせになった。
誓来の帰国の日が来たので、帝は諏訪姫に見送らせた。泊りを重ねていよいよ
別離の地、唐土浦(浜崎)へ着いた。そこで名残の鷹狩を催したとき、何時ものように
中天高く舞い上がり、地上の獲物めがけて直下した。鷹は畑に下りたまま帰って来ない。
勢子たちが馳付けてみると、無惨にも鷹は蝮に巻かれて締め殺されていた。誓来との
離別と、愛鷹の死とは、うら若い諏訪姫の耐える処ではなかった。悲歓のあまり心も
くれて身を唐土浦に沈めたという。
 事の由を聞かれた帝は、諏訪大明神の神号と、鷹の羽の神紋を下賜せられて
厚くその霊を弔われた。
以来、諏訪神社は「蝮除けの神」として近郷、近在からの参詣者で賑った。
 対州藩時代には藩主の信仰厚く、祭日には田代奥役が例年藩主の代拝を勤めた。
 毎年十一月二十三日に秋の大祭(新嘗祭、神幸祭、稚児行列)が行われている。


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