浜崎山笠の特徴


 山笠の形態は博多山笠の流れをくむが二本の曳き綱で曳きまわす曳き山で夕刻より始まる宵山である。
 浜崎の山笠を曳くときは進行方向を見ず、山笠を見ながら曳くことになっており山笠が前進中に後ろにもある二本の曳き綱をわざと引っ張り山笠を止めて後ろに後退させ前進の妨げをするというのも浜崎独特の曳きかたである。これは昔道路が舗装されておらず、凸凹に車輪を取られて山笠がなかなか前に進まなかった頃からやっているらしく、車輪の前にレンガを置いて山笠を動けなくする悪戯をする者もいたという。
 博多山笠と同じく、「岩の山」と呼ばれ屋形や人形を配し、天井屋形から下段までは川には橋を渡し、屋形には回廊を設けるなどして一本の道を通している。博多山笠と異なるのが「ヤリダシ」、「カボチャ」と呼ぶ柱を使っての飾り付けの方法で、これにより屋形や人形の立体感や遠近感を表現している。また山笠全体に無数の燈篭が取り付けてあり日が落ちると明りを灯す。
 江戸時代の頃は博多山笠と同じく幟山あったと思われ、博多山笠が現在の岩山の形態になってから浜崎も明治頃に東区の「やまつくりさん」が現在の「やりだし」「かぼちゃ」を使用した形態にしたといわれている。こういった山笠を飾るのは華道に通じるものがあるらしく、飾りを指示する人の個性がもっとも出るところである。

山笠巡行

 高さは約15m(大正時代には約20mあったという記録がある)重さは約6tあり、九州内はもとより全国でも最大級の大きさを誇っている。大正12年、浜崎に電話が導入されるとき電話線が山笠の邪魔になるので浜崎に電話はいらないというエピソード゙があるほど浜崎の祇園さんは大事にされ、他地域の山笠が時代の流れにより低くなっているなか、浜崎の山笠は昔からの高さで現在まで伝えられている。
 なんといっても一番の特徴は、六個ある車輪の真ん中の車輪を支点に山笠が前後に天秤をふることである。これは昔、道路が舗装されておらず凸凹であったために大きい山笠を安定させるため、または舵取りを軽くするための工夫と思われる。この天秤のおかげで曳き方が綱を曳くたびにヤマが前後に大きくゆれて夜ではとても幻想的な雰囲気となる。
 飾りは毎年違う外題で飾られオモテヤマは武者物、ウラヤマはオモテヤマ関連話や民話で飾られる。
お諏訪さんの縁起(「山笠に蛇、鷹に関する外題を飾らないわけ」のページへリンクします)から蛇、鷹に関したものは使わない。
 通称「雪山」と呼ぶ山笠を冬景色に飾った外題もあり(代表的なもので「忠臣蔵」があるがその昔、人形を「オモテヤマ」だけに五十体余り飾った「忠臣蔵」があった。)その場合は、屋形や橋などに綿をのせたり、絵の具で白く塗るなどして雪の積もった感じをだす。
 十数年前までは浜崎に「やまつくりさん」と呼ばれる人形師が各区におり、飾り付けを各区で競っていたいう。人形は博多の人形師から譲り受けた頭型を使って製作しており、浜崎周辺の各町村の山笠にも貸し出していた。
 現在は屋形、小物等は各地区で製作して人形のみレンタルしている。



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