浜崎祇園山笠の起源


 浜崎の網元であった中村屋久兵衛が商用で京都に上り祇園会に参拝した帰途で、博多祇園山笠の賑いを見物し感動して心に何か企画しつつ浜崎に帰ってきた。そして町中の人間を集め、今度から祇園社の祭礼を行い疫病退散、大漁豊作を祈願して、博多山笠を模して漁農商一団となって三台の山笠を作り、祭礼を盛大に二日間執り行えば神賑いともなり郷土の繁栄ともなるからと地元民とも協議し自分が多額の費用を寄進して、江戸時代中期(1753)より執り行ったと伝えられている。
 それから二百五十年余り、農民の西組は五穀豊穣、商人の東組は商売繁盛、漁師の浜組は叶大漁と山笠を曳きながら祇園さんに願い現在に至っている。

昭和17年西組山笠


浜崎祇園山笠とは          メニュー          浜崎山笠の特徴